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多くの出会い、震災後たくさんの方に出会い励ましあいました。
かさねて、ありがとうございます。感謝です。
看板を見て「元気が出た」「励まされた」「勇気が湧いた」と多くのかたから言っていただき、それに私が勇気を頂き、元気が出て、前進出来ました。
一歩前に出る事が勇気が未来を開く"カギ"なんだなとこの一年の月日の流れで学びました。今後、さらなる試練があると思いますが、自分の出来るすべて出し切り乗り越えたいと今は思っています。
まずは、希望を持って仕事を本格復興を目指しがんばります。
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希望をもってを参照しているブログ:
NHKニュースで黒沢さんのことを知りました。 日本中の誰もがそうなのでしょうが東北を心配しています。 遠いところに住んでいます。1年を迎えるに当たり、力になれる方法を考え直したいと思っています。 震災後、赤十字へ心ばかりの支援を続けていますが、具体的な使途がわからないので、できましたら、黒沢さんへ送りたいと考えました。いかがでしょうか。 どうぞメールアドレスにご連絡ください。
投稿: 白パンダ | 2012年3月 3日 (土) 13:45
初めまして 大変な一年が過ぎましたね。 途方もない規模の出来事の前で、僅かな事しか出来ず、日々の仕事や雑事に追われるばかりの自分の非力さに引け目を感じてしまう一年でした。 その中で同じ給排水関係の仕事をしている黒沢さんの志を陰ながら応援しておりました。 今回、白パンダさんのコメントに私も偶然同じ思いを持っていましたので思い切ってメールさせていただきました。 生意気な思いで恐縮ですが、使途の分からぬ支援は、何となく力が出ないのも否定できない思いです。 前からなんとなく考えていたことですが・・・
娘が6月に入籍、11月に挙式することとなりました。 今回のことにも負けず前進をされている挙式予定の方にほんの少しですが支援させていただければと考えます。 黒沢さんの判断にお任せしますが、ご検討いただければ幸いです。 ちなみに私自身、被爆2世です。 色々ありますが、なんとなく元気に暮らしています。
投稿: もみじ饅頭 | 2012年3月24日 (土) 18:15
白パンダさんありがとうございます。 私も個人的にボランティア参加したり、看板のことしたりといろいろしていますが今後どうしたらと考えています。 なかなか答えでませんね。 思いつきましたら書き込みます。
投稿: KUROSAWA | 2012年3月24日 (土) 19:33
もみじさんありがとうございます。 おめでとうございます。 身の回りに該当する方がいるか聞いてみます。 ありがとうございました。
投稿: KUROSAWA | 2012年3月24日 (土) 19:35
あなたの尊い闘いに、心から尊敬の念と敬意を表します。同志として、何もできず、自分の不甲斐なさにいつも自己嫌悪に陥っています。 私も宮城県の人間ですが、幸いにして、大きな被災はしませんでした。 しかし、自分の生まれ故郷である多賀城や、その後、青春時代を過ごした仙台や、名取市と、自分の親戚や友人がいるエリアが全て津波でやられました。 何もできない自分が嫌になり、精神的にもかなり不安定になりました。 職務上、ある程度の支援を行うことができましたが、それも自己満足に過ぎず、義援金をと思っても、自ずと限界があり・・・ いつも、被災地の事を考えない日はありませんでした。 ある日、石巻に支援に行った時、あなたの作った看板を実際に見ました。S新聞で、既に知っていましたが、実際に見たとき、涙が止まりませんでした。 身近にいながら何もできず本当に申し訳ありませんでした。 ただ、今の自分にできることは、全ての被災者が、その人らしく幸福な人生を送れますように、ただただ祈らせて頂くことしかできません。 それでも、自分が死ぬまで、自分なりに、被災地の支援を続けさせて頂きます。そのシンボルが、あなたの掲げた看板です。 石巻を始め、全ての被災地の方々が本当に幸福になれるよう、真剣に祈っていきます。
投稿: toshi | 2012年8月30日 (木) 21:22
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NHKニュースで黒沢さんのことを知りました。
日本中の誰もがそうなのでしょうが東北を心配しています。
遠いところに住んでいます。1年を迎えるに当たり、力になれる方法を考え直したいと思っています。
震災後、赤十字へ心ばかりの支援を続けていますが、具体的な使途がわからないので、できましたら、黒沢さんへ送りたいと考えました。いかがでしょうか。
どうぞメールアドレスにご連絡ください。
投稿: 白パンダ | 2012年3月 3日 (土) 13:45
初めまして
大変な一年が過ぎましたね。
途方もない規模の出来事の前で、僅かな事しか出来ず、日々の仕事や雑事に追われるばかりの自分の非力さに引け目を感じてしまう一年でした。
その中で同じ給排水関係の仕事をしている黒沢さんの志を陰ながら応援しておりました。
今回、白パンダさんのコメントに私も偶然同じ思いを持っていましたので思い切ってメールさせていただきました。
生意気な思いで恐縮ですが、使途の分からぬ支援は、何となく力が出ないのも否定できない思いです。
前からなんとなく考えていたことですが・・・
娘が6月に入籍、11月に挙式することとなりました。
今回のことにも負けず前進をされている挙式予定の方にほんの少しですが支援させていただければと考えます。
黒沢さんの判断にお任せしますが、ご検討いただければ幸いです。
ちなみに私自身、被爆2世です。
色々ありますが、なんとなく元気に暮らしています。
投稿: もみじ饅頭 | 2012年3月24日 (土) 18:15
白パンダさんありがとうございます。
私も個人的にボランティア参加したり、看板のことしたりといろいろしていますが今後どうしたらと考えています。
なかなか答えでませんね。
思いつきましたら書き込みます。
投稿: KUROSAWA | 2012年3月24日 (土) 19:33
もみじさんありがとうございます。
おめでとうございます。
身の回りに該当する方がいるか聞いてみます。
ありがとうございました。
投稿: KUROSAWA | 2012年3月24日 (土) 19:35
あなたの尊い闘いに、心から尊敬の念と敬意を表します。同志として、何もできず、自分の不甲斐なさにいつも自己嫌悪に陥っています。
私も宮城県の人間ですが、幸いにして、大きな被災はしませんでした。
しかし、自分の生まれ故郷である多賀城や、その後、青春時代を過ごした仙台や、名取市と、自分の親戚や友人がいるエリアが全て津波でやられました。
何もできない自分が嫌になり、精神的にもかなり不安定になりました。
職務上、ある程度の支援を行うことができましたが、それも自己満足に過ぎず、義援金をと思っても、自ずと限界があり・・・
いつも、被災地の事を考えない日はありませんでした。
ある日、石巻に支援に行った時、あなたの作った看板を実際に見ました。S新聞で、既に知っていましたが、実際に見たとき、涙が止まりませんでした。
身近にいながら何もできず本当に申し訳ありませんでした。
ただ、今の自分にできることは、全ての被災者が、その人らしく幸福な人生を送れますように、ただただ祈らせて頂くことしかできません。
それでも、自分が死ぬまで、自分なりに、被災地の支援を続けさせて頂きます。そのシンボルが、あなたの掲げた看板です。
石巻を始め、全ての被災地の方々が本当に幸福になれるよう、真剣に祈っていきます。
投稿: toshi | 2012年8月30日 (木) 21:22